May 02, 2011

やっぱり一票の格差の問題に行き着く。


波照間島に行ったんですけどね。お天気にも恵まれて、日本最南端の有人島を満喫してきました。白い砂浜、そこから続く輝くような青い海。その先は足が着く深さのところからすでにもう珊瑚礁。ゆるーい空気が、使い古された言葉だけど「癒し」になります。

というような波照間島観光の見所は他にも紹介されているサイトがたくさんあると思うのでそちらに譲るとして、私が気になったのは、やはり離島の暮らしは公共事業に頼らざるを得ないという現実を見たこと、なんですよね。

その畑から上がる収益ではきっと回収できない費用がかかる圃場整備や利水事業。観光客を乗せた車が日に何台か通るためだけなのにきっちり舗装された道路。新しいところでは地デジ対策。

公共事業による利益誘導だの、公共事業に頼る過疎地の経済だのっていう話は自民党政権時代、それも小泉政権時代よりもっと前に盛んだった議論でいまやもう過去の政策課題のように見られているんでしょうが、とにもかくにも公共事業がないと島の経済は成り立たないんだろうなーっていうのは、ほんの短い島への滞在でも感じられましたよ。

日本経済が停滞期に入ってはや20年。「俺らの生活をどうしてくれるんだ?」という声が地方からだけでなく都市部でも噴出するようになり、コストをかけて村の暮らしを維持する余力を失いつつある中、今後はどうしていくんだろう?って、背筋に寒いものを感じたのは事実。

いや、波照間島はそれでもまだよいのです。すばらしい観光資源があるし、移住したいと思わせるだけの魅力もある。現に、島に居着いている本土の人にもお目にかかったし。なんとかなると思う。

しかし、どんどん増えているという「限界集落」って今後どうするんだろう。波照間のような際立った特色もなく、高齢者ばかりになった集落が万単位であるらしいけど、そのすべてで生活基盤を維持させるためのコストは負担できないよ、この経済停滞期に。

「住み慣れた土地を離れたくない」という主張は心情的には分かる。でも、希望を全部は聞いていられないのも確か。どこかで妥協が必要で、その妥協点を見出すのが政治の仕事なんでしょうけどねぇ。

*   *   *

・・・そう考えると、私の疑問は一票の格差の問題に行き着く。今の制度では、往々にして限界集落の人たちの意見がより多く聞き入れられることになってます。衆院で2倍、参院で5倍の一票の格差ってそういうこと。限界集落の今後を議論するのに、「政府が責任をもって維持するべきだ」という人が多いと思われる勢力の意見を2倍、5倍の大きさで聞くってことだよね。それはフェアじゃないよね。

代表が集まって議論をしようと言うのに、代表の選び方がフェアじゃないんじゃぁ、仕方がない。

ということで、えらい話が飛んでしまいましたが、まず一票の格差是正が重要だと思う次第なのです。

April 11, 2011

新幹線の車窓から。

実家のある福岡と本社のある東京の間はいつも飛行機で移動しているんですけど、今回は福山で知人を訪ねる予定があり、片道を新幹線で移動しました。

新幹線の車窓に広がる、東京からずっと途切れない街並。ビル、工場、護岸工事された河川、そして、つつましくもきちんとした暮らし。

東日本の震災は未曾有の規模で、被災された方々、直接の被災はなくとも影響を受けている方々の辛苦は「分かります」などとはとても言えないレベルです。

しかし、新幹線の車窓から見えた東京以西の街は、「日本にはこれだけの街があり、これだけの人がいるんだもの。きっと大丈夫。」と思わされるに足る景色でした。なんの科学的、経済学的根拠もない私的な印象に過ぎないんですけどね。

時折視界に飛び込む満開の桜が美しかったです。桜前線はもう、東北地方まで北上したのかな?

April 01, 2011

「絶対に」安全、なんてないのさ。

「安全なのかそうじゃないのかはっきりしろ」という問いには答え難いですよ。なぜなら、確率・統計的事象に対して、「絶対に」安全ということはないですから。言い切らないのが科学的には正しい態度です。

日本で車に乗ってたら走行距離数百万キロで1件というくらいの確率で交通死亡事故に遭遇するし、こんにゃくゼリーで命を落とす人もいる。だから、車もこんにゃくゼリーも「絶対に」安全とは言い切るわけにはいかない。結局、公式には「大方の人が安全と看做す水準を満たしています」というような持って回った言い方にならざるをえないし、それが科学的に正確な答え方だと思うんです。

ところがそれでは納得しない人が少なくない。「安全なのかそうじゃないのかはっきりしろ」という質問に答える側は、「判断」を示すよう迫られます。

しかしその「判断」は人によって異なるもの。あなたは安全と思うが私は安全とは思わないかもしれない。「判断」は主観的なものなのです。たとえ事故の確率が十分低くても、こんにゃくゼリーで我が子を失った親はこんにゃくゼリーを安全な食べ物とは看做さないでしょう。

さらに悩ましいのは、「安全」か「そうじゃない」かの二択でしかモノゴトを見ない人にとっては、往々にして「安全」といえばゼロリスク、100%の安全を意味していることですよ。「安全なのかそうじゃないのかはっきりしろ」という質問に「安全」と断言してしまうと、そういう二択の人たちは「事故が起きているのに『安全』とはなにごとか。虚偽だ。」と責めるのです。

といって、「大方の人が安全と看做す水準を満たしています」という言い方をすれば、二択の人たちは、「不正確だ」とか、「ということは危険も残っているのだな。そんなものを認めるとはなにごとか。」とまた責める。

ゼロリスクを求めていては何もできないのです。車にも乗れないし、包丁も使えない。こんにゃくゼリーも食べられないし、それこそ外を歩いていて隕石に当たる確率だってゼロではない。「安全」か「そうじゃない」かの二択ではなくで、危険度を評価することが求められるんです。その上で判断するリテラシーが必要なんですよね。

とはいえ、昨今話題の放射線被曝の危険性については、内容が高度に専門的だし、体感的に理解できないし、自分で「判断」するようを求められても困るという人が多いだろうし、「安全なのかそうじゃないのかはっきりしろ」と言いたくなる気持ちも分からなくもない。だからこそ「その数字が何を意味するのか。」ということを丁寧に解説するコミュニケーションが必要になると思うのですが、マスコミも二択の人と一緒になっちゃって騒いでる場面も見かけてしまう。

それで人々は、不必要に怖がったり、過剰に安心したり、果ては情報隠蔽や陰謀論に振り回されたり。悩ましいですね。

*   *   *

うだうだと書きましたが、要は「安全なのかそうじゃないのかはっきりしろ」と訊かれる側にはなりたくないなぁ、というのが正直な感想で、今まさにそういう質問に晒されている人たちには同情を覚えるのです。

March 26, 2011

(無)計画停電。(ジンバブエの場合)

慰めにもならないでしょうが、世界にはこんな電力会社、(無)計画停電もある、というお話。ジンバブエ電力公社(Zimbabwe Electricity Supply Authority:通称ZESA)の件。

最初に申し上げておきますけど、ジンバブエってかつては先進国並の国だったんですよ。南アフリカと同等かむしろ上で、宗主国イギリスによって都市もインフラも整備され、農業も製造業も活発で、教育や医療も整ってた。1980年代頃までは、アフリカの「bread basket」と言われるくらい豊かな土地が広がってたんですよねぇ。それが徐々におかしくなってきて、白人敵視、欧米敵視政策をとるようになった2000年代に完全に破綻してしまったんです。そして2008年に経済が崩壊、どうしようもない国になりました。世界の鼻つまみ者です。

そんな経緯があるので、住宅は停電を前提とした設備がないのが普通。たとえばガーナとかバングラデシュのような正真正銘の途上国の場合、当然インフラも整備がままならないので、一定水準以上の生活を営む人(多くの外国人も含まれる)の住む家やアパートは最初から停電があることを前提とした設計になっているんですよね。敷地内に発電機があって、停電の時はそちらに切り替える設計になっていたりする。が、ジンバブエの場合は、元は停電なんてないちゃんとした国だったので、そういう設計になっている家は少ない。

ZESAは公営企業で無責任経営、ムガベ大統領与党の利権になってもいたので、国の政治経済が無茶苦茶になるに従って、当然のように無茶苦茶になっていきました。

まず、電力インフラの維持管理ができなかった。ジンバブエの主力の発電所はカリバ水力発電所とワンゲ石炭火力発電所なんですけど、カリバの方はジンバブエ独立前、植民地時代の1960年頃に建設されたものでそれ以降はチマチマとした場当たり的修理はやったものの、大規模な修理はできていないので、本来の発電容量の半分とかしか発電できていない。ワンゲの方も、最後に大規模に設備投資したのは1980年代。さらには、燃料の石炭は国内で産出できていたんですけど、経済破綻で鉱業も著しく停滞してしまったので、まともに稼働できていない。

結果どうなったかというと、ジンバブエ国内で必要とされる2500MWのうち、全部合わせても1000〜1500MWしか発電できないという有様に陥ったわけです。それで、隣国(モザンビーク、ナミビアなど)から電力を輸入する、という手に出たんだけど、経済が崩壊しているので支払いが滞る。巨額の債務が出来る。設備投資が出来ない。という悪循環。

経済が極度に悪くなったので、生活苦からの電線の盗難も多発。変電設備の故障も修理できず、どんどん供給能力が落ちて、停電が日常茶飯事になっていきました。

みんなが電気を使う時が逼迫するので、一般家庭では朝方と夕飯時の停電、工業地帯では昼間の停電が多いらしいです。停電しても、まあ一般家庭であれば、数時間すればまた電気戻ってくるかなぁ、夜9時過ぎたら復活するかなぁと、ある程度は予測が付くことも多いんですが、たまには一日中、地域によっては数日にわたって停電が続いたりしているみたいです。

もちろん、電気料金もまともに課金できてない。そもそも自国通貨がハイパーインフレを起こしていた時期があったので、いくら課金すべきなのかも分からなくなってしまってる。それで、自国通貨が事実上廃貨されたあとは、便宜上米ドルで、大きな家は月40ドル、集合住宅は月20ドルとか適当な集金を始めたんですけど、そんなんじゃZESAの債務が解消されるわけもなく、私の知人宅にもよく意味不明な請求が来てました。先月まで40ドルだったのに、今月は800ドル、とか。もう管理もなにも無茶苦茶になってるので、取れるところから取ろうとしているだけだと思いますよ。外国人で金回りの良さそうなところにはふっかけるだけふっかけてみる。金持ちでも、ムガベ大統領与党の有力者のところは電気料金を払っていないというウワサだし。

で、800ドルとかの請求がきたら、ZESAに交渉に行かねばならない。自分で自宅の電力消費の記録をつけて、請求が法外であると主張せねばならない。しかし、このとき、交渉がまとまらなくても、まったく払わないで帰ってくるとマズいらしいんです。ZESAが電気を止めるから。それも、物理的に配線が切られて修復に時間がかかる羽目になるので、小額でも払って来るのがコツらしい。払っていれば、電線切られることはないらしい。んで、しばらく粘り強く交渉すると、相手が折れて800ドルが100ドルになったりするんです。もう、支離滅裂。

さらにひどいことに、ZESAはムガベ大統領与党支持者の利権なので、管理職の給料が無茶苦茶に高い。公務員の給料が月200ドルとか300ドルとか、首都で6人家族が生活するには月500ドル〜1000ドルはかかるね、といってるところで、月給4000ドルから1万ドル以上をもらってるんです。しかも、そういう管理職が異常にたくさんいる。そいつらの給料は払いつつ、設備投資は資金がないのでできない、困った困ったと言い続けているんですよね。

さらにさらに、停電させる地域の割当もひどくて、大きい病院のある地区や病院が多い地区への送電を優先するのは分かるとしても、次に優先されるのがムガベ大統領公邸及び私邸のある地域、次がムガベ大統領与党支持の有力者や中央銀行総裁などの私邸がある地域、そしてZESAの本社ビル、もっとも頭に来るのが、ZESAの社員住宅も優先的に送電されている様子。

いったい、何のための電力会社やねんってつっこみたくなるよね。仕方ないので、外国人や白人市民は自宅に小型の発電機を据え付けたり、インバーター(電気のあるときに電池に充電しておいて、停電したら電池の直流から交流に変換して使う装置)を買ったりしてる。鉱業系の大きな会社の中には自前で発電所を建てたり、隣国モザンビークの電力会社と契約して国境を越えて送電してもらってるところもある。貧しい黒人居住区では、パラフィンを使うコンロ(キャンプ用みたいなの)とか、未だに薪を使ったりしてる。ガソリンスタンドで薪を売ってるときあるもんね。

幸い我が家は、停電した場合は朝6時半〜7時半、夜6時〜9時は、管理人が同一敷地内にある6世帯で共用の大型ディーゼル発電機を運転してくれるし、だいたい停電はこの時間帯に収まる。昼間は停電してても自分が家にいないしね。で、夜9時以降とか予想外の時間帯に停電した場合は、小さなインバーターがあるので、電子レンジや冷蔵庫は動かせないけど、最低限の照明は数時間はもつのでなんとかなる。加えて、電気料金を家賃込みにする契約にしているので、ZESAとの交渉は管理人がやってくれているので手間がかからないよ。その分、若干家賃割高だけどね。でも、そうでもしないと毎日電力会社や電話会社との交渉に明け暮れて仕事になんないでしょうよ。

*   *   *

世の中にはこんなひどい電力会社もあります。だから東京電力がグダグダでも許してあげてね、などと言うつもりはありませんが、まあ電力会社が相当ひどくても意外となんとかなっちゃったりするもんだよ、というくらいのことは言えそうです。

March 21, 2011

バックパッカーのきみへ。

バックパックを背負って世界一周に出かけた○○くんへ。

今はどのあたりを旅行中でしょうか?

あなたがアフリカの我が家に寄ってくれたのも、もう2週間前の話になります。旅ももう、ずいぶん長くなってきましたね。

もうすぐ地震発生から10日になります。
今回の地震については、どのくらい情報を得られていますか? 途上国を旅行中では詳しい情報を得るのは難しいとは思いますが、並の震災でないことは既にお聞き及びですよね?

地震、津波で阪神大震災を大きく上回る犠牲者が出ているだけでなく、いまだ被害の全容、犠牲者の数さえ掴めていない状況です。さらには福島第一原子力発電所が大きな被害に遭い、今も放射線被爆と戦いながらの懸命の作業が進められています。

天皇陛下がテレビでお言葉を述べられるという場面もありました。

原発事故のせいで都内も計画停電(といっても計画通りにはいっていない)が実施され、情弱な高齢者や主婦たちが不必要な食品の買い占めや東京からの避難に走り、緊迫した空気があるようです。電車の間引き運転や商店の営業時間短縮も続いています。

現在、警察、消防、海保、自衛隊が総力を挙げているほか、空母ロナルド・レーガンも三陸沖に停泊し米軍も大々的に救援活動に当たっており、100を超える国と国際機関からの援助の申し出を受けながら数々の緊急オペレーションが続いています。

震災から10日を過ぎ地震直後のショック症状は次第に収まりつつありますが、その深い傷跡の前に呆然とし、もはや10日前の日本には戻れない現実を噛み締めています。

*   *   *

日本は、2011年を、1868年、1945年と並ぶ時代の節目として記憶することになると思います。

「失われた20年」といわれ、閉塞感に苛まれながら、徐々に徐々に疲弊しながら、しかしなんとか持ち堪えてきた日本社会が、この震災を機に、不連続に、次の時代に突入していくような感覚を覚えています。高度経済成長、バブル時代、「失われた20年」、そして「震災後」。あたらしい「戦後」の始まりのような空気を感じます。

今回の震災で失われた命は数万の単位になることが確実で、失われた命はもはや取り戻すことはできません。しかし、この未曾有の震災にあってなお冷静さを保ち、震災直後から、助け合い再起に踏み出そうとする強さを見せる日本人の姿は印象深いものがあります。ひとりひとりが、自分には何ができるかを省みて、あたらしい時代にむけて歯を食いしばろうとしています。私も、日本から遠く離れたところに住んではいますが、この国難にあたり何ができるかを考えている日本人のひとりです。

*   *   *

○○くんへ。たぶん、あなたの周りにいるバックパッカーたちに中に、あなたにこれを言ってくれる人はあまりいないと思うので、メールの最後にひとこと付け加えておきます。

旅を終える決断をする勇気も必要です。

もう、だらだらしない方がよいのではないでしょうか。旅で得るものも多いでしょうが、失うものの方がが大きくなる前に、決断することも必要ではないでしょうか?

*   *   *

あなたのこれからの旅路が有意義なものになりなすよう!

March 18, 2011

風邪ひいた。

(mixiの日記からの転載)

今日は仕事を休んでいます。

って、計画停電だの電車がどうの、という理由ではないですよ。アフリカですから。

カゼひきました。いつものようにノドが腫れて熱が出て、ふらふらして仕事になんないので、休み。急ぎの仕事、外せない仕事が一段落したので気が緩んだのかもしれない。

事務所に行かないとNHKも見れないし、そもそも熱でボワッとする頭にはテレビの音もつらいので、テレビはオフ。

*   *   *

地震の件、いろいろ思うところはある。それはみんな同じだと思う。大量の情報が流れているのが分かる。日本から地球半周離れた場所にいるという自分の環境から、日本にいるみなさんと違うものを見ているかもしれない。

*   *   *

こういう緊急事態だから、批判めいたことやネガティブなことは書かない、言わないと決めたんだけど、でも、ひとつだけ。

今回の地震の情報を得るのに、新聞社のニュースサイトはほとんど役に立ちませんでしたよ。見ても仕方ない。「たいへん、たいへん!」「もっとちゃんと対応しろ!」という論調の記事ばっかりで、知りたいことが分からないんだもん。

結局、インターネットの向こうにいる、科学者や、専門家や、実際に作業に携わっている人たちの意見を見て回って総合して、何がおきているのか、どのくらい危ないのか自分で考えるしかなかった。

この、もっともメディアが必要とされる時に際して、大手メディアの情報がもっとも役に立たない、ということを悟ったさ。


「頼れるどころか、もはや「有害」な日本の震災報道」

「危機的状況の中の希望」(村上龍のNYTへの寄稿)


ああ、ノド痛い。薬のんで寝ます。

March 13, 2011

東北地方太平洋沖地震

否定的な言葉を発するのはやめよう。みんな精一杯なんだ。応援しよう。

遠くにいて祈ることしかできないけれど、落ち着いたら募金に応じよう。それしかできないから。

February 26, 2011

地方分権、地域連合、連邦国家。

究極的に国家がやるべきことは、通貨、外交、国防の3つで、残りは地方政府がやればよい、ということらしいです。要はこの3つが、国家主権そのもの、これらを地方に移管したら地方はもはや地方ではなくて国家になっちゃうから、国がやるべき、というのはそのとおりなのでしょう。

しかしもうひとつ、国か地方かという議論には、規模の問題も無視できないように思うのです。適当な規模の人口というのがあるんじゃないかと思うんですよ。

ヨーロッパはEUという枠組みを作って、通貨はかなりの加盟国がユーロの採用で統一し、外交、国防も協同的に行うよう進んできてます。昨年でしたか、「EU大統領」「EU外務大臣」に相当するポストも正式に創設されましたよね。さらに、ユーロ採用のために必要な国家財政の基準を定めたり、各種の規制も統一したりしていて、産業政策のような、通貨、外交、国防以外の分野でも一部で統一されることになっています。通商関係の紛争処理について共同の裁判機構もあって、司法機能も一部が統一されているように見えます。

これって、結局のところは、EUという規模で行う方がそれぞれの国別で行うよりも効率的だから、ということなんだろうと思いますが、要は国家の主権の一部を国家よりも上部の機構で共有する構造を作っているんだと看做せますよね。

一方で、インド、ロシア、アメリカなどは、州、自治区といった地方政府の自治権の範囲が広い。州がほとんど国のような機能を持ってる。これらの国々は国土が広くて人口も多いし、それぞれの地方には特有の事情もあることだし、住民の日々の生活に密接に関わる行政の仕事は地方政府がやったほうが効率的だろうと判断されているんだと思います。

ヨーロッパは国を積み上げてEUという地域連合を作り、アメリカは国を州に分割している。EUにおいては加盟国が「州」に近い存在になり、アメリカにおいては「州」が国に近い存在になっている。

たぶん、その辺りに「適当な規模の人口」のヒントがありそうです。

通貨、産業規制、国防、広域インフラというのはきっと、「適当な規模の人口」が大きい。逆に、公共サービス、福祉、教育なんていうのは、「適当な規模の人口」がそんなに大きくない。で、電力、利水、通商政策、司法なんかはその中間だったり、内容によって人口規模が大きい方がよかったり、そうでもなかったりするような気がします。

要は、地域連合—国—州—基礎的自治体というスペクトラムの中に、「公」が行うべきこと(通貨、外交、国防、インフラ整備、公共サービス、司法、・・・)をどう当てはめるのかというのが、地方分権の問題であり、地域統合の問題なんでしょう。

*   *   *

一言、アフリカについて。

10億の人口に54の国。アフリカ連合(AU)を筆頭に、西アフリカのECOWAS、南アフリカのSADCなど、一応形式的に地域連合は存在するんだけど、ろくに機能していない。国家主権にばかりこだわっていたり国内に内紛を抱えていたりで地域連合の協議なんかできそうもない国や、「あんな国と連携してもろくなことない」と誰もが思う問題国家ばかりですからね。

開発がなかなかすっきりと離陸しないの理由の一部は、ひとつひとつの国が小さくて非効率なのに、地域連合や連携協議を通じて効率的なガバナンスを追求することができない、ということにも求められるかもしれません。まあ、それも植民地支配の残滓と言われれば、そうかもしれませんが。

February 20, 2011

ランダム再生で音楽を聴く。

今日は算数の話。

twitterでフォローしている人が、「1曲の長さが5分の曲がライブラリに1000曲あるとして、ランダム再生で一度も再生されてない曲数が10曲以下になるまで何時間かかる?」というつぶやきを流したんですよね。

私もiPodでランダム再生で毎日音楽聴いてて、なんか同じ曲が何度も出てくるような気がするし、ぜんぜん出てこない曲もあるような気がするし、いったいホントにランダムなんだろうか、どれくらい聞いてればiPodに入ってる全曲を聴けるんだろうか、と思っていたところなので、この際マジメにこの問いを解いてみることにしたんですよ。幸い、私のiPodの中に入ってる曲も約1000曲だし。

で、せっかく解いたので、私の解法をメモっておきます。間違ってたらごめんなさい。

*   *   *

簡略化のため、まず、10曲ライブラリをランダム再生して、9曲演奏されてしまうまでに何回再生すべきか、で考えてみる。

10曲を普通にn回ランダム再生した場合のパターンの数:10^n
10曲から9曲を選んでn回ランダム再生するパターンの数:C(10,9)*9^n

で、10^n > C(10,9)*9^n になるnを求めればいい。メンドクサイので等式にして10^n = C(10,9)*9^nをnについて解く。

C(10, 9)=10なので、

(中略)

n=1/(1-log9)=21.85...

まあ、確率的には22回再生すれば9曲は出現する可能性が高い、ということになるのか。

で、これを「X曲のライブラリをランダム再生して、Y曲聴き終わるためにはn回再生する必要がある。」と一般化すると、

n=log(C(X,Y))/(logX-logY)

1000曲のライブラリで990曲聴き終わるためには、

n=log(C(1000,990))/(log1000-log990)=5365.79...

(ちなみに、C(X,Y)=X!/(Y!*(X-Y)!) )

ということで、5366回くらい再生すれば、990曲は聴けると。
1曲5分とすれば、5分×5366=約18.63日。

ちなみに、1000曲全部聴こうと思ったら、要は999曲以上聴く、と考えればよいので、

n=log(C(1000,999))/(log1000-log999)=6904.3...

5分×6904.3...=23.97...日

連続24日間くらい聴いてれば、全曲聴ける可能性が高くなるんだね。そんなもんか。

・・・って、1000曲聴きたいのならば、ランダム再生せず素直に頭から順番にシークエンス再生すれば、1曲5分ならば1000曲は5000分、約3.472日あれば全部聴けるんですけどね。

February 12, 2011

エジプト雑感。

エジプトの「革命」とイラン革命、そして日本の建国記念日はどれも2月11日ということになりました。覚えやすそうですね。

こないだ「アラブ世界での開発独裁の終わり」というエントリを書いたところですが、ついにムバラク大統領が辞任。時代の流れを変えるこれだけの大事件だし、エジプトは出張で昔ちょっと行っただけでアラブ専門家でもなんでもない私がなにかエラそうなことを言えるわけではないにしても、気付いたことは書いておこうと思います。

*   *   *

1.
「群衆」というものは、ひとりひとりの人間を足し上げたものとは違う、ひとつの生命体のように動くらしいです。「群衆」というのは、なんらかの目的をもって集まった大勢の人間のことで、新宿や渋谷の人混みは、あれは「人混み」であって「群衆」ではないと区別できると思うのですが、ひとたび何らかの目的が与えられれば「群衆」になりうるだけの人間の数だけはいる、という状態です。

(ちなみに、英語では「mob」と「crowd」という単語で区別されるんですけど、mobには暴徒というニュアンスがあるよね。)

他方、カイロのタハリール広場に集まった人々は「群衆」。目的は現政権の退陣、象徴的存在であるムバラクの辞任。分かりやすい目的を持った「群衆」です。

そして、「群衆」を鎮めるための対処方法は2つ。ひとつは、徹底的に力で潰すこと。もうひとつは「目的」を達成させること。

エジプトはこれまで、「群衆」になりそうな芽は徹底的に摘み、「群衆」化した集団は力で潰すという方法を採用してきたんですけど、今回の「革命」は潰すに潰せない規模とエネルギーを持っていた。エジプトにおいては(というか、諸外国ではよくある様態ですが)、軍が政権から一定程度独立した権威を持っていて、その軍が「群衆」を潰すという役割を否定したんですよね。積極的にムバラク政権を追い落としはしないけど、「群衆」を抑える役割も断った。思えばこの時点で、政権の命運は尽きていたのかもしれません。

となると、ムバラク大統領側にとっては、時間を稼いで「群衆」という生命体が弱るのを待つしかなかったんだと思いますが、今回生まれた「群衆」の生命力は時間が経てば弱るというほど生易しくはなかったし、力で潰す、という選択肢が塞がれた以上は、もはや遅かれ早かれ「目的」を達成させるしか「群衆」を鎮める方法はなくなっていたんですよね。

ムバラク大統領が即時退任するまでこの騒ぎは収まらない、というのはみんな気付いていたでしょう?

2.
アラブ、中東世界の大国・エジプトの政権がこういう形で崩壊した、というのは東西冷戦構造の崩壊と同じくらいインパクトのある出来事だと思うんですけどね。アメリカはこれまで、片方で民主主義の伝道師を自ら任じその布教を進める一方で、アメリカにとって都合のよい政権はたとえそれが民主主義の観点から胡散臭くてもたっぷり資金を与えて支援してきた(で、痛い目に遭ってきた)。

今回、このアメリカ外交の本音/建前の構造の象徴的な崩壊だと思うんですよ。イラクやアフガニスタンで既にアメリカは痛い目に遭っていたわけですけど、ついに、アメリカにとってそれこそ中核的利益であるイスラエルの存在と密接に関係するところで、その二枚舌外交が使えなくなった。

新しい秩序ができて落ち着くまでしばらくはゴタゴタすると思う。ムバラクがいなくなったからとって、急にエジプト市民の生活がよくなるわけでもないし、革命後のユーフォリアが冷めた後にはまた一悶着ある可能性も高いと思う。中東/イスラエル問題の再定義も必要になるし、しばらくは不安定化する可能性もあるでしょう。まあでも、国際政治のいびつな構造のひとつが整理されてまっすぐになった、っていう気もするし、基本的には今回のエジプトの事件は喜ばしいことだと思うんですよね。

3.
twitterで流れていて知ったんですけど、こんだけの出来事なのに、日本のテレビ局はエジプト情勢を中継したところがなかったんですって? もう日本のテレビに期待もしない、と思っていたけど、それにしてもひどいなと。ホントにどこも中継してなかったの?

日本は鎖国してるわけじゃなくて、むしろグローバル経済に一番どっぷり浸かって、その中に生きている国ですよ。たしかにエジプトは遠いかもしれないけど、自国の生存環境である国際社会、グローバル経済の重要な変化が今起きているというのに、それに関心を余り示さなかったって・・・。

北海道の記者さんがtwitterでつぶやいてたんんですけど、「こっちは日本に住んでるんだ。エジプトのことばっかり伝えるな。」という苦情が入ったそう。

大丈夫か、日本。
海外に住んでると、なおのこと日本の内向き加減、危機感のなさ、戦略の欠如が心配になるんですけど。

February 06, 2011

ヨーロッパの裏庭、アフリカの話。

南部アフリカ地域では、御年92歳のネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領の検査入院が長引いたことなどをとらえて、健康状態を心配する声が広がっているところです。

言わずと知れた南アフリカ黒人解放の最大の功労者、27年の収監を耐えて南アフリカ共和国で黒人初の大統領になり、アパルトヘイト政策を終わらせた人ですが、不謹慎だとは思うんですけど、そういう方がまだ存命であることにある種の驚きを感じませんか? 制度的な人種差別が人道に反するなんて当たり前だと思っているし、そんなものとうの昔に廃止されていていいような気がしますけど、南アフリカで全人種参加の総選挙が行われてマンデラ氏が大統領の就任したのは1994年のこと。歴史というにはまだ日が浅過ぎる、最近の出来事なんですよね。

英領南ローデシアの首相、イアン・スミスが、白人による統治を掲げて英国から一方的に独立しローデシア共和国を建てたのが1965年。そのローデシア共和国が解消され、黒人政権のジンバブエ共和国が成立したのは1980年。私が小学生の頃の話。そして初代ジンバブエ首相のロバート・ムガベは御年87歳(2011年2月)にして現在もジンバブエの大統領として君臨。まだ歴史でもなんでもなくて、現在進行形の政治です。

南部アフリカ地域で一番新しいナミビア共和国に至っては独立は1990年。第一次世界大戦後にドイツ領から南アフリカ連邦(当時)領に変わっても、つい最近までずっと人種隔離政策が続いていたんですよね。

*   *   *

ポルトガル人が西アフリカ(現在のガーナ)に欧州勢として始めて砦を築いたのが1482年。同じくポルトガル人のバルトロメオ・ディアスが喜望峰に到達したのが1488年。これもポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ南端を回るインド航路を開拓したのが1498年〜99年頃。このあたりは世界史の教科書に出てくる話で、これ以降、欧州列強は南部アフリカに進出しインド貿易の航路として活用したほか、アフリカから金、象牙、奴隷、コーヒーなどを本国に輸入し、植民地としての開拓を進めます。オランダ東インド会社がケープ植民地(現・南アフリカ共和国のケープタウン)を成立させたのは17世紀のことです。

やがて欧州では産業革命が起きる(18世紀〜19世紀)。政治も領主様や国王陛下が直接統治する封建国家から、議会制民主主義、立憲君主制といった、今風の近代国家に脱皮して行きました。ポルトガルやスペインに変わって、いち早く産業革命を成し遂げたイギリス、革命を経て近代国家として歩み始めていたフランスなどがアフリカの植民地経営に精を出し、19世紀中には南アフリカでも鉄道が走るようになっていました。

・・・と、こうして見ると、ヨーロッパのアフリカ進出は世界史の授業のような昔話に聞こえますけど、ヨーロッパ人のアフリカ入植はずっと時代が下って、ごく最近まで続いていました。第二次世界大戦後に農場経営のための土地を求めて入植した人たちもいます。比較的新しく入植した人たちは別に黒人の土地を奪って開拓したわけではなく、通常の土地取引で農地を購入して入植しているんですけどね。スイスでは農家の次男、三男が南部アフリカに行って農地を開拓し、一旗揚げたらスイス本国で「お嫁さん募集」の広告を出すというのがよく見られた、という時期もあったそうです。あるいはナチス・ドイツの圧政を逃れて南部アフリカに新天地を求めたユダヤ人も少なくないし、貿易や欧州人のコミュニティのための様々なビジネスの機会もあって、最近になってアフリカまで商売を広げた人々も多い。

南部アフリカでは、今でもオランダ人、イギリス人、スイス人、ドイツ人などが経営する農場が数多くあります。(フランスは西アフリカ、北アフリカに植民地が多く、南部には少ない。)あるいは流通小売の業界にギリシャ系、ポルトガル系の人が多かったりする。もちろん、ヨーロッパ人ではないけど歴史的経緯からインド人も多いですけどね。そういえば、インド独立の父ガンジーは、、若い頃南アフリカで弁護士稼業をやっていて、人種差別に対する悩みを深めたといいます。

(ちなみに、日本が南アフリカのケープに最初に総領事館を開いたのは1910年、去年100周年でしたよ。まめ知識。)

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15世紀以来、連綿と続いたヨーロッパとアフリカの歴史的関係の最先端に、マンデラ元大統領がいて、ムガベ大統領がいる。「インド航路」だの「植民地開拓」だのって、歴史の教科書の上のお話として聞いてしまいがちですけど、今もアフリカの地には、その歴史の上に出来上がった社会があるんですよね。植民地時代がどっかでプツッと終わって現代のアフリカになったわけではなくて、前の出来事に新しい出来事を塗り重ねて、塗り重ねて今がある。

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それで、15世紀以降のアフリカとヨーロッパの歴史をダラダラ書いて、もうひとつ何が言いたかったかと言いますと、日本から見るアフリカと、ヨーロッパから見るアフリカは決定的に違う、ということなんです。当たり前ですけど。

ヨーロッパにとってのアフリカの出来事は、裏庭での出来事。まして、今でもヨーロッパ人がたくさんアフリカに住んでいて、その人たちがヨーロッパの本国の国籍、市民権を持っている場合も少なくない。ヨーロッパの人にとって、アフリカの出来事が他人事じゃないでんすよね。アフリカに対して当事者感覚を持っている。

日本から見ると、「人道上支援しなくては」「豊かな資源を開発しよう」「グローバル化社会の一員として尊重せねば」「世界の安定・経済成長に重要だ」・・・といったお題目でアフリカをとらえがちなんですけど、ヨーロッパにとっては、たとえもう植民地ではなくなったとしても、どこかまだ身内の出来事という感覚があるように見える。

不謹慎なたとえかもしれないですけど、言ってみれば、ヨーロッパ諸国にとってアフリカ諸国は、日本にとっては国家として独立してしまった北海道のような感じなのではないかと思いますよ。アイヌ・ウタリ共和国(1965年独立)みたいな感じで。それで、東京とアイヌ・ウタリ共和国の関係が順調であればそれはそれでいいんでしょうが、もしもアイヌ・ウタリ共和国が汚職まみれの独裁国家になっちゃったり、本州人が拓いた農地を国有化する政策を推し進めたり、中国から武器を密輸したりしていたら・・・。ヨーロッパのアフリカに対する危機感は、それに近いような気がしますよ。

January 28, 2011

アラブ世界での開発独裁の終わり。

チュニジアのジャスミン革命がアルジェリア、イエメン、エジプトと広がりを見せていることについては、BBCとネットのニュースをざっと見て回っただけで詳しい状況は分からないし、たぶんその道に詳しい人がいろいろと解説してくれているんだと思うんですけど、私も気付いたことをちょっと書いておこうかと。

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気付いたんですけどね、これらの国での市民のデモでの主張は「経済改革」「汚職撲滅」「自由・権利の拡大」とかで、宗教がらみの主張が含まれていないんですよ。イスラムへの回帰とか、世俗国家の追求、なんていう主張をしていないみたいなんです。より民主的な社会、よりフェアな社会を求めるデモなんですよね。

貧しく、国内に様々な対立勢力を抱え、国民の教育水準もあまり高くない国では、いわゆる開発独裁の強権的な政権が必要悪のように存在することが多いです。民主的選挙だの言論の自由だのというような贅沢に付き合っていたら収拾がつかないので、とりあえず、社会の少々の軋みは力で黙らせて、社会開発事業を推進する。東南アジアはそうやって急速に成長してきた国ばかりです。そして、アラブ世界も国王や国王のような大統領がいる国ばかりなんですよね。

しかし、社会が一定の開発段階まで至って、国民の教育水準、民度が高くなり、衣食も足りてくると、より民主的な体制を求めるようになる。特権を享受し一般市民とは比較にならない富を蓄えた支配階層を排除し、正統な自分たちの代表に国を率いてほしいと考えるようになる。そのとき開発独裁を敷いてきたアジアの為政者達は、ある者は市民革命に破れ、ある者はクーデターに倒れ、またある者は後継者に禅譲して引退し、あるいは自ら民主化を進めて次の時代を開いてその治世を終えた。マルコス、マハティール、スカルノ、蒋経国、リー・クアンユー、そんな名前が思い出されます。

それで今回のジャスミン革命に続くアラブ世界の動乱なんですけど、いずれも強権的な長期政権が続いていました。為政者たちがどのくらい真剣に社会開発に取り組んだのかはよく分からないですけど、それでもその統治下で曲がりなりにも経済成長は続いており、市民の多くは食うや食わずの生活からは抜け出していた。宗教的なスローガンが見当たらず、フェアな社会を求める主張をするデモを見ていると、世俗アラブ世界も民主主義という贅沢を求める水準に達していたのではないか、そんな気がします。東南アジアが2、30年前に経験した開発独裁時代の終わりを、今頃迎えているのではないかと。

まだ結論を出すのは尚早ですけど、そういう見方もできるように思っています。

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追記:

開発独裁の終わり、という解釈ではアジアと似ている面があるけれど、大きく異なることは、アラブ世界は域内にイスラエル・パレスチナ問題を抱えていること。これは大きい。

ヨルダンとエジプトはイスラエルとの和平協定を締結しており、アラブでありながら親米の姿勢を維持する政権が続いてきたんですけど、今回の市民蜂起ではこの体制が崩れる可能性が出てきています。政権の素性はともかく、ヨルダン、エジプトが中東の緩衝地帯としての機能を持ってきたことは確かで、だからこそアメリカもこの二カ国を援助でジャブジャブにしてでも支えてきたわけです。(ちょっと古い情報になりますが、直接・間接を合わせると、ヨルダンの国家予算の4分の1はアメリカが支えていますし、ヨルダンの人々の主食である小麦の半分は日本の支援に頼っています。)

市民の民度と生活水準が充実してきて、独裁的な政権を排除すべきと目覚めたというのは民主主義の観点からは結構ですけど、その結果がイスラエルとの対立の激化を招き、地域のさらなる不安定化という事態を招いてしまう可能性が高いことは、アジアの前例とは目立って異なる。もはや止めることはできないところまで来てしまった感の中東の市民蜂起、この後の展開は、中東の政治風景を一変させ、アメリカに世界戦略の見直し迫り、世界の政治経済、パワーバランスを一変させる可能性を帯びてきましたねぇ。

January 23, 2011

UNICEF職員はタダ働きじゃ務まりません。

UNICEFの国際スタッフ(日本ユニセフ協会の職員じゃなくて、途上国のUNICEF現地事務所で働く人)の日本人の友人が話していたことなんですけど、日本帰国中に「国連機関に勤めています。ユニセフです。」なんていう話をしていると、「ユニセフの職員が給料をもらっている!」と不満げな反応をする人が時々いるそうです。

そりゃ、給料もらいますよ。援助のプロですから、彼らは。片手間に道楽でやってるわけじゃなくて、高い専門性を持ったプロの仕事としてやってるわけですから。生活環境の厳しいところでの仕事が多いし、危険もあるし、それなりの待遇が当然必要です。

「ユニセフのスタッフが給料をもらっている」と訝る人々にとって、ユニセフとは慈善団体、ライオンズクラブとかロータリークラブとかと同じようなものと思われているんでしょうね。途上国の貧しい人々のところに手弁当で出かけて行って援助を差し伸べる、純真な心の人たちの集団、くらいのイメージなんでしょうか。

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開発協力、国際援助の分野で、日本に力のある大手のNGOがなかなか育たないのは、この「タダ働きであるべきだ」という信仰が影響している部分も大きいように思います。国際NGOに幾ばくかの寄付をして、そのNGOがカンボジアに建てる学校の建設費になると思っていたら、そのNGOのスタッフの給料になっていた、といって怒る人がいる。

そしたら、誰がその事業を運営するんでしょう?
「お金持ちが、ボランティア精神を発揮してやればいい。若い人がインターンの一環でやればいい。」
たしかにそれで賄える部分はあるかもしれませんが、それじゃいつまでたってもアマチュア仕事だし、事業の拡大の可能性も、それどころか継続の可能性も小さい。結局、一時の自己満足に過ぎない事業や、とんちんかんな事業をやる小規模なNGOばかりになって、途上国の社会開発に自らコミットするような大手のNGOがなかなか育たない。小粒でもすばらしい仕事をしているNGOが数多くあるのも知っていますが、往々にして専従スタッフは極めて少数で、しかも薄給です。

日本人に多い「サービスはタダ」という感覚の延長線上なのかもしれません。「ものづくり」信仰が強いせいか、モノではない目に見えないサービスにお金を払う感覚が希薄ですよね。途上国に建てる学校の資材にお金を払うのはいいけれど、その建設のコーディネート作業にはお金を払いたくない。そんな空気がある。

小さなNGOや、普通に暮らす個々人の善意を軽んじるつもりはないですが、しかし、開発協力、途上国支援は「道楽」で済むものではなく、「仕事」として取り組まねばならない水準のものです。「善意の種をひとつ撒けば、大きく花が咲いて世界が平和に」というほど世界は甘くない。

世界が多くの人々にとってもっと住みやすくなるにはどうしたらいいか、という課題に取り組むことを仕事としているプロフェッショナルが世界には大勢いて、彼らの仕事がまわりまわって途上国に住んでいない人々の暮らしやすさにもつながってくるんですけど、「ユニセフの人が給料をもらっているなんて!」と文句を言う人たちにはそこまで想像力が及ばないんでしょうね。

まあ、街で外国人を見かける時か、買い物のときに「Made in ナントカ」って書いてるのを見るときくらいしか世界を意識しなくても楽しく生きて行ける日本にいれば、それも致し方ないか。

January 15, 2011

国際協力の仕事のキャリアパス。

前回のエントリーで、国際協力の仕事は新卒で就職するようなところにはあまり落ちてないもんだよ、なんらかの専門性を持ったプロが求められているんだよ、とは書いたものの、それって今大学生くらいの人が読んだら、かなりハードルが高く聞こえるっていうか、「自分じゃダメなんだ・・・。」と思わせる結果になってるかもしれない、と心配になりました。やる気を挫いしてしまっては申し訳ないっていうか、それは本意ではないので、それじゃ今、国際協力の現場で働いている人たちはどんなキャリアパスだったんだろうと、いろいろ思い出してみた。

当然、「新卒で就職して国際協力の仕事をやっています。」というパターンは、運良く国際協力機構(JICA)から内定がもらえた人の場合くらいしか聞いたことがなくて、大抵の人は「国際協力の仕事」を指向しつつ、いくつもの場所を渡り歩いて来ているように見えます。あくまで個人的な観察に過ぎないんですけど、そう見える。

大卒の22歳か23歳くらいからの10年くらいを、国内/海外のNGO、青年海外協力隊、協力隊調整員、国内/海外の大学院、民間企業、公務員(学校教師など)、医療関係職、自営業、JPO派遣制度、日本大使館の専門調査員/派遣員、JICAのジュニア専門員/長期研修員/特別嘱託、UNV・・・、というようなところを、だいたい1年〜2年程度づつで渡り歩いて、30歳もかなり過ぎてからそれなりに国際協力の業界で食えるようになった、という人が多いんじゃないでしょうかね。

で、大卒からの10年くらいの間にそれなりの経験を積んで、人に説明できるくらいの自分の得意分野ができれば、その後の仕事はだんだん安定してくるようです。

たとえば、国連機関のスタッフは終身雇用ということはほとんど無理で、多くは1年、2年の契約で仕事をしてらっしゃるようなんですが、ちゃんとキャリアを積んできた人であれば、契約が切れてもまた次の契約、次のポストの話が舞い込んで来るようになるみたいです。

あるいは、国際協力の仕事を専門とする人々が集まる開発コンサルタント会社で新卒採用をしているところは少ないみたいなんですけど、10年くらい経験を積んで国際協力の仕事の即戦力とみなされるよにうになれば、そういう会社に就職するという道も出てくる。国際協力機構本体は新卒採用中心ですけど、その周辺の関連企業は国際協力の経験者採用しかやってないようなところも多いようで、そういう会社に入る、というのもあるかもしれません。

10年かそれくらい、経験を積みつつ食いつなぐことができれば、それなりに方向性が見えてくる。そういう感じじゃないかと観察してます。

もちろん、ここに挙げた以外のポストもあるし、国際協力の業界にいる人の経歴は本当にさまざまですよ。「新卒でこの会社に就職して、今に至ります。」というような単線のキャリアの人が少ない業界です。

不況だ、就職氷河期だと喧しい昨今、「経験を積みながら食いつなぐ」というのはそれなりにタフで、綱渡りな局面もあるだろうと想像しますけど、就職、というか「就社」して会社員になるというのと一味違う働き方の世界としても、「国際協力の仕事」は面白いんじゃないでしょうかね。


(以上は、私の個人的見解です。この記事を読んで実践したけどうまく行かなくて、実家に引きこもり親の年金のおこぼれで生活する羽目になりました、と苦情を持ち込まれても知りませんよ。この記事が参考になれば、とは思ってますけど、自分の道は、結局自分で拓くしかないんですよね。)

January 06, 2011

国際協力の仕事を目指す人へ。

国際協力の仕事をしたい、という若い人の話を聞くこともそれなりにあったりしまして、そういう人たちに説教を垂れる、というようなことはやりたくはないんですけど、でも、毎回同じような話をしてばかりいるので、思うところをちょっと書き残しておこうと思います。

まずね、大学なり大学院なりを卒業してすぐ「国際協力の仕事」を得るのは、そう簡単じゃないですよ。日本全国の大学に、国際関係学科、開発経済学科、国際教養学科とかいう学科はたくさんあって、さらには政治学や経済学の方面から途上国開発の業界に興味を持ってくる人もいる。毎年、「国際協力の仕事ができたらなぁ」という卒業生は、きっと数千人はいるんです。多く見積もれば万の単位に乗るかもしれない。

だけど、みなさんが真っ先に思いつく、例えば独立行政法人国際協力機構(JICA)の新卒採用数は毎年30人とか40人とか。その他に将来にわたってちゃんと生計を立てられる「国際協力の仕事」は、新卒の人々に対してはほとんど門戸は開かれていないですよ。あとは、薄給で若い間しか勤まらないNGOや、原則2年の青年海外協力隊とか。就職希望者数に対して、圧倒的に枠が小さいです。

じゃあ、その他の「国際協力の仕事」ってどこにあるのか。

それは、開発コンサルタントであり、国連など国際機関の職員であり、国際NGOの職員であり、各種の国際協力専門家の稼業です。そこで求められているのは専門性を持ったプロなのです。「途上国の困窮している人を救う仕事がしたいのです。」という清い心だけでは勤まらない仕事ばかりなのです。逆に言えば、プロであれば「国際協力の仕事」を得るチャンスは広がる。

いい例なのは、青年海外協力隊の採用状況ですよ。協力隊はいろんな職種が募集されているんですけど、「理数科教師」「農業」「情報技術」といったような職種は途上国側から要請が多いのに応募数が少なくて、もしあなたが応募すればきっとかなりの確率で採用されますよ。他方、「村落開発普及」「青少年活動」とか、一見専門性がなくても気合いや日本人としての常識で勤まりそうに見える職種は大変な競争倍率になっています。で、実際に採用されている人には、イギリスに留学して開発学を勉強してきましたとか、過剰に優れた経歴の人がいたりするんです。

あるいは、特定の専門技術を持っていれば、英語がそこまで得意じゃなくても「途上国の人々を救う仕事をしてほしい」というオファーは向こうからやってくる。医者や看護士などは最たる例ですが、そこまででなくても、例えば送電網設計、上水道漏水対策、システムエンジニア、灌漑農業、HIV/AIDS対策、廃棄物処理、道路設計、教師・・・、なんらかの「手に職」があれば、「国際協力の仕事」がめぐってくることは多いです。手を挙げれば、ぜひ行ってくれ、となることも多い。だから、「国際協力の仕事」を目指すにしても、まずなんらかの専門性を身につけることの方が先だと思うんです。急がば回れ、の格言どおりですよ。「国際協力の仕事」の内定もらうには、運もよくなくちゃ受からないような国際協力機構や、若者の善意を買い叩いて善意を押し売りしているNGOを目指すのもいいけれど、もっと広い視野で仕事探しをした方がいいと思うんですよね。

そして、実は、なんだかんだ言っても途上国の人々の困窮を救うのは、経済、もっといえばビジネスであるというのが現実だったりします。「国際協力」を看板に掲げている人たちの活動よりも、そこに工場が進出してきたり、新しい商売が生まれたりした方が、現地の人々の生活に余程プラスだったりするんです。国際協力だといって援助をするよりも、金儲けを覚えてもらうことの方が、経済開発には大事だったりする。

だから、「国際協力の仕事」を目指す人には、純粋に「国際協力」を掲げているところばかりを探すのではなく、民間企業の活動だって途上国の人々の生活向上にものすごく貢献している、ということを忘れないでほしいなと思うんです。そして、なんらかの専門性を持つことを目指すことをお勧めしたい。肩肘張って「国際協力」と言わなくても、あなたの日々の仕事が途上国の困窮を緩和することに役立っていることも多いだろうと思ったりするのです。

*   *   *

繰り返しですが、国際協力の現場で求めれらているのは、なにかの「プロ」です。

国際協力機構や国連機関は「途上国の困窮している人を救う仕事がしたいのです。」という気持ちが純粋であれば純粋であるほど、心が折れそうになる官僚的な職場だとも聞きますし、「国際協力の仕事」がしたいとは結局どういう仕事がしたいのか、冷静に落ち着いて考えてみられるとよいと思いますよ。要は、困窮している国の人々の暮らしに役立つ仕事、であり、それは自分の専門性をもって貢献する、ということで実現されるのではないでしょうかね。

少なくとも、「国際協力の仕事」は、大学の3年から就活をすれば内定をもらえる、というところにはあまり落ちてないと思いますよ。

December 30, 2010

象牙海岸から見る、民族と国家。

11月に行われた象牙海岸(Ivory Coast)の大統領選挙の結果が混乱して、まだ収束してません。選挙は現職大統領のバグボ(Gbagbo、グバグボとも。日本語での表記は確定していない)候補と、元首相のワタラ(Ouattara)候補の間で戦われたんだけど、同国南部を支持基盤とするバグボ候補(=選挙時点での現職大統領)は北部地域(ワタラ候補の支持基盤)の投票には不正があったので無効であるとしてその部分を除いた選挙結果を元に勝利宣言。ワタラ候補側は、全土の選挙結果を見れば当然ワタラ候補の得票数が多いとしてこちらも勝利宣言。どちらも引かない状況となってます。

国際選挙監視団、アフリカ連合、国連、欧州連合等は、選挙に際し若干の暴力は見られたものの、ワタラ候補側が勝利したと認めて、ワタラ候補側が任命した大使を正式な大使として認める、といった対応を取ってます。でも、バグボ候補側が引く気配がなく、二人の大統領が存在したまま内戦の恐れも出て来ています。象牙海岸に基地を持つフランス軍は、同国に滞在するフランス人に対し、「予防的措置」として国外待避を要請しているとの情報もあるようです。

象牙海岸は元々北部と南部で民族的、宗教的な差があります。それに加え、隣国で世界でも最貧国の部類に入るマリやブルキナファソの人々が、カカオの産地であり相対的に豊かな象牙海岸の北部に流入していて、南部の象牙海岸人が「北部の人間は純粋な象牙海岸人ではない。」と主張する要因となっています。(ちなみに、ワタラ候補自身も両親がブルキナファソから象牙海岸に移住しており、かつイスラム教徒。)

バグボ「大統領」は、南部の象牙海岸のアイデンティティを強調し、メディアを統制して「南部人こそ象牙海岸人、北部人はよそ者」という民族主義的な主張を広め、ポピュリズム的手法で南部象牙海岸人の支持を得ているといいます。

*   *   *

国内に異なる民族集団がいるという状況は日本人には想像が難しいものがありますよね。日本は民族、言語、国土の領域が一致する国ですが(って言うと、アイヌや在日朝鮮人の話を持ち出して批判される向きもありそうですが、で、確かに無視できない論点ではあると思いますが、他国と比較して大枠で見れば「ほぼ」民族、言語、国土が一致しているとして、今は話をしても構わないでしょう)、世界的に見れば、そういう民族、言語、国土が一致するという国の方が少ないというのが現実です。アメリカなど新大陸の国々は言うに及ばず、中国、ロシア、インドなどの大国、中東欧の国々にも多民族、複数民族の国家が多数です。ドイツ、フランス、イタリアなどは比較的、民族、言語、国土が一致しているようですけど、イギリスは「連合王国」って言ってるくらいで、よくみれば「連合王国人」よりもスコットランド人やアイルランド人としてのアイデンティティが強い人々が多そうです。

そういう国内に複数の民族を抱える国を国として運営して行くには、国民統合の施策が必要になります。日本にいる人に「あなたは何人ですか?」と聞けば、自民党の人でも共産党の人でも「日本人です」と答えることに何の疑問もないでしょうけど、世界にはそうでない国が多いのです。「クルド人でトルコ人」、「キクユ族でケニア人」、「パレスチナ人でヨルダン人」、などなど、国籍を有する国と、民族的アイデンティティが必ずしも一致しない場合が少なくない(「族」という表現は差別的だと批判する人もいるようですが、慣用的に使われてきた表現で特に差別的含意を持って使っているわけでもないので、そのままにしておきます)。そのため、世界の国々には国民意識を根付かせる仕掛けが必要になっています。「日本人が日本人であると自覚するための仕掛け」といっても、民族、国土、言語が一致していることを目の前にすればあまりに当たり前過ぎでピンとこないですけど、まあ強いて言えばそれは日本書紀や古事記に始まる建国の神話であったり、天皇家の存在あったりするわけです。それがたとえばアメリカであれば建国の精神とその権化である合衆国憲法、そして星条旗と大統領が「アメリカ人であること」の拠り所です(「英語」はアメリカ人であるところの要件かというのは、ヒスパニック系住民の増加という現実を見ると、これはまたこれだけでひとつの議論ができそうです)。また、たとえばタイ。純粋なタイ族っていうは実はそんなに多くなくて、中華系のルーツを持つ人も少なくないんだけど、1930年代に「タイ人化教育」をかなり徹底的にやってる。学校での中国語教育の禁止とかまでやってますよ。それに王室という象徴を戴くことによって、「タイ人」が「タイ人」として自覚することを当たり前とする国を作り出してます。

インドネシア、ジャカルタの中心にある独立記念公園に行くと、立派な記念塔を備えたモニュメントに独立記念博物館があります。あれこそは、「インドネシア人」としての国民意識を育む教育の象徴じゃないでしょうか。そもそもインドネシアという国のあるところは、古くはシュリーヴィジャヤなんかがあってスルタンや地域の伝統的指導者がそれぞれの島や圏域を支配していた地域だけれども、最終的にはオランダ支配の領域が「国」として独立したものであって、そこに住んでいる人々に「インドネシア人」という自覚なんてなかったわけです。だいたい、「インドネシア」という呼称自体がヨーロッパ人目線の言葉ですしね。だから、「国」として独立しても、放っておけば遠心力でバラバラになってしまうのも必定、っていう感じの国なわけです。現に東ティモールは分離しましたし。インドネシア人に自らをインドネシア人と自覚させるためにはそれなりの仕掛けが必要であり、それは建国神話であり、独立の英雄であるわけで、その象徴があの独立記念公園ですよ。「あなたがたの祖国はインドネシアである。」、そう自然に感じられるだけの物語が必要だったのです。この「インドネシア人」の国民教育を進めたという意味でも、スカルノはインドネシア「建国の父」と呼べるでしょう。

タンガニーカの大統領であり、その後ザンジバルと合併してタンザニアの初代大統領となったニエレレ(Nyerere、ニェレレ、ナイレレとの表記もあり)もまた、「タンザニア」の国民教育を進めた人物でした。自身はザナキ族の出身であったものの、民族間和平、タンガニーカとしての独立を主張し、今の「タンザニア」という国の形を決めたと言えると思います。

これと対照的なのがケニア。初代ケニヤッタ大統領は独立以来、西側寄り資本主義体制を堅持してケニアに経済発展をもたらしたんですけど、「ケニア」という国というよりは同国で多数派のキクユ族にその支持基盤を置き、なにかにつけキクユ族を優遇しました。ケニヤッタ大統領の死去に伴い就任したモイ大統領、そして政権交代よって大統領の座を得たキバキ大統領も政権ではキクユ族を重用しています。現在でも、ケニアの人々に自身のアイデンティティについて尋ねると、「ケニア人」と答える人は半数しかいないという報告もありました。多くの人が「ケニア人」である前に、「キクユ族」「ルオ族」という部族をアイデンティティとして自覚しているということです。ケニアでは2007年年末に行われた大統領選挙後の混乱、暴力沙汰が記憶に新しいところですが、これはキクユ族(キバキ大統領)対ルオ族他その他部族(オディンガ候補)という側面が強く、これまでは好調な経済によって覆い隠されていたものの、実はケニアという国家の統合があまり進んでいないことを露呈したように思います。

*   *   *

話を戻して象牙海岸の話。「象牙海岸」という国家ではなく、南部の支持層だけを基盤として北部を異端視するバグボ大統領の政権下で国民統合が進んだとも思えず、どういう展開になるのか気になります。国際社会はバグボ大統領の退陣を求めていますけど、これ以上の流血の事態を避けるためには、ケニアやジンバブエで行われたように、両陣営に政権入りさせて連立政権を組ませるというオプションも模索されるでしょう。

ニエレレやスカルノの例を挙げて、国民統合の推進を紹介してみましたけど、別に無理矢理「○○人である」と認識させるよう洗脳を進めるのが望ましいと言ってるわけではなくて、民族ごとの自治権の拡大と中央政府の役割のバランスを取ることで国家、国民の統合を進める、連邦制的な方向だってあるわけです。あるいはスーダンのように、選挙によって国を分割するかどうか決める、という選択をしたところもあります(2011年1月にこの件を問う住民投票が行われます)。

今日明日に片付く話ではないですけど、民族と国家の関係を考えると、象牙海岸でどういう統治が模索されていくのかとても興味深いものがあります。

December 15, 2010

コペンハーゲンに行ってきました。


出張でコペンハーゲンに行ってきました。デンマークの首都です。出張の用向きは脇に置いておいて、デンマークの話がいろいろ面白かったので備忘録がてらにメモっておこうと思います。特に賢いことや鋭いことを書こうというわけじゃなくて、ただデンマークの話。

まず、デンマークはヨーロッパでもかなり北、スカンジナビアに入ります。コペンハーゲンからスウェーデンのマルメまでは橋がかかってて、車で45分くらいで行けちゃうんですね。デンマーク側の方が付加価値税25%、物価も若干高いらしく、マルメに買い物に行ったり、マルメに住んじゃったりしてる人もいるそうで。

デンマークの人口は550万人くらい、在留邦人は1500人くらい。デンマークという国はクリスチャン4世という王様が建国した国で、基本的に商人の都市国家の性格が強いみたい。現在でも世界最大の海運会社・マースク(Mærsk)の本拠はコペンハーゲン。そういえばこの「Mærsk」って「MAERSK」っていうロゴの入ったコンテナの会社だよね。よく見かけるけど、あれってコペンハーゲンの会社だったのです。

コペンハーゲン、古い町並みが美しいのですが、それにはいくつか理由があるようでした。

まず、第二次世界大戦であまり焼けてない。ドイツに侵攻されたとき、数時間で降伏したそうです。勝ち目がないので無駄な戦いを避け、ドイツ占領下で戦時経済を生きることを即座に判断したそうな。いかにも商人らしい発想です。なので、古い建築の保存がよい。そして、国が古い建築の保全を行っている。新しいビルを建てるのはともかく、古い建物は潰させない。リノーベションして別の用途に使わせる。そしてそれがすごいいい感じなんですよね。元港湾倉庫の会議場とか、基本構造は木造なんだけど、現代の建築にはない贅沢な材料を使っていて、洒落てるんです。

聞けば、古い建築を維持するのに、固定資産税の減免、歴史的建造物管理費の徴収、リノーベションが必要になったときの補助金など数々の制度があるらしい。

そして、古い建築でも天井が高くて窓が大きい。日光が貴重なほど緯度が高いので、昔から窓を大きく造ってたんですと。地震もないので、そういう設計でも大丈夫です、とのこと。で、その窓から部屋の中が丸見えの家が多いんですが、窓辺に趣味良く観葉植物やランプシェードが置いてあって、白熱灯の暖かい光が外に漏れてくる。なんだか余裕を感じる。

街を歩いていると、道路よりも低い位置、半地下に部屋がある建物が多いので、なんでこんな建築なのか聞いたんですよね。で、説明によると、コペンハーゲンの街は厚い砂の層の上にあって、ほとんどの建物は基礎の柱が岩盤までは達してない。なので、建物が数百年をかけて砂地にゆっくり沈んでしまってるんだって。少し沈むごとに建物全体が平準になるように手を入れるので、特に問題はないそうです。

国民性。商人の魂が息づいているらしい。デンマーク人は就職してからリタイアするまで、平均して6回くらい転職するらしいですけど、転職は普通のことで、転職が多いのは望ましくない、という偏見もなければ、「キャリアアップだ」というガツガツしたところもない、だそうです。なんでもうまい仕組みを作るのが上手で、長時間労働しているわけでもなければ、ギリギリと根を詰めて働いている風でもないのに、なんとなく仕事が上手く回るように整えられていることが多い、と、コペンハーゲン在住の日本人が言ってました。

空港やホテルや仕事上で出会ったデンマーク人ですが、なんというか、さらっとした印象。満面の笑顔で精一杯暖かくお出迎え、という感じでもなく、といって無愛想でもなく、もちろん隙あらばカモにしてやろうというようなアグレッシブさがあるわけでもなく。個人的にはとても気持ちのいい人たちだと感じましたよ。特にアフリカくんだりから来ると、「洗練」を感じました。

先進国のご多分に漏れず、少子高齢化の波には見舞われているらしいんですけど、合計特殊出生率は1.8くらい。1.3とか言ってる日本に比べるとかなり高い。人口550万人と小回りの効くサイズで、しかも「うまい仕組み」を作ることに長けているいるので、年金制度とかもあんまり深刻なことにはなっていないそうな。付加価値税が25%と非常に高いのも、その税収がどう使われているのか国民に見えるサイズの国なので、それでも国民が納得するんでしょうね。

私が滞在した間は寒気の流入が止まっているとかで、一番寒くても気温マイナス2℃くらいだったんですけど、北極方面から寒気が流入すると4時間で15℃下がって一気に氷点下10℃以下になる、というようなことも割と普通に起こるそうで、デンマークの子どもたちは幼い頃から寒くても外で過ごして寒さへの対応を身につける、なんていう話も聞きましたよ。

東京に比べると随分小さな街で、エキサイティングさには欠けると思いますけど、それなりに楽しく暮らせそうな街だ、そんな風に思いましたとさ。

November 28, 2010

辺境の国・日本の、押し付けない国際協力。

原研哉氏の「デザインのデザイン」という本を読んでいたんですけど、この部分が非常に印象に残ったんです。ちょっと長いですが、引用してみます。

「東京は好奇心の旺盛な街だ。世界のどの都市よりも他の文化から情報を集めることに熱心である。そしてそれらの情報をていねいに咀嚼して、世界に起こっていることをリアルに理解しようと勤勉な知性を働かせている都市でもある。自分たちの立っている場所が世界の中心ではない、そしてそもそも世界に中心などないのだという意識がその背後には働いているような気がする。だから自分たちの価値観で全てを推し量るのではなく、他国の文化の文脈に推理を働かせつつそれを理解しようとする。」(p.155)

もうひとつ、内田樹先生の「日本辺境論」。これもちょっと引いてみます。

「日本という国は建国の理念があって国が作られているのではありません。まずよその国がある。よその国との関係で自国の相対的位置がさだまる。よその国が示すヴィジョンを参照して、自分のヴィジョンを考える。」(p.38)

ちなみに、内田先生は日本人がこんな「辺境性」を持っていることを別に否定的に書いてらっしゃるわけじゃないです。ただ「そういうものだ」と書いておられる。また、この本では、梅棹忠夫氏の「文明の生態史観」を引用していて、それは以下のとおりです。

「日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。それは、現に保有している文化水準の客観的評価とは無関係に、なんとなく国民全体の心理を支配している。一種のかげのようなものだ。ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなくおとっているという意識である。」

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これね、海外で生活しているからかもしれないですけど、実感としてこのとおりなんですよね。有史以来、日本は中華であったことはない。常に辺境であり、辺境としての国民性をもって強かに生き残ってきたんですから、自ら世界に範を示すことが生来的には身に付いていない。別にいいとか悪いとかいう話じゃなくて、そう。

ミクロの現場では、「べき」論を以て雄弁に語る欧米人を前に、気後れすることも多いです。しかし、私の英語力の問題もありますけど、英語力が十分だったとしても、ああいう風には語らない、語れないことが多いなと思うこともしばしばなんです。常に、周りの考えを見て、自分の考えを検証している自分がいます。

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日本の国際協力事業の現場に携わったことがあるんですが(今も携わっていますけど)、日本の国際協力の特徴に「要請主義」というのがあります。原則的に、相手国側から「要請」されたものに対して応えるという方針です。こちらから押し付けない。あくまで相手国側の考えを尊重して、「うちの国の開発にはこれが必要なので協力してください」と要請されたものについて協力を検討するという原則があります。

もちろん、「おたくの国の発展にはまずこういうところから手を付けるべきなんじゃないですか」と日本側から提案して、最終的に相手側に要請させるということも少なくないので、いつも「ご用聞き」だけをやっているわけじゃないですが、原則は「要請主義」です。また、これは「ownership」の強調という日本の支援の特徴も同時に説明しています。すなわち、日本はあくまで「支援」「協力」はするけれども、事業の主体はあなたの国なのですよ、プロジェクトはあなたの国が実施したいとして日本に支援を要請しているから日本は支援するだけですよ、という「当事者感覚」を強調することにつながってます。相手国側が自分で考えて必要だと思って要請してくる、その事業は相手国のものです。日本はそれを支援する。

押し付けないのです。相手国の言い分を聞く。相談に乗る。その上で助言する。開発途上国には自国の開発課題について取り組む政策や事業計画を策定する能力も覚束ないところも多くて、まともな要請を出すこともままならないという国も多いので、まず相談に乗る、ということも少なくないです。結果として、事業開始までにやたらに時間がかかることも少なくないですけど、事業計画の形成段階から、相談に乗って議論を導くところから援助が始まっていると見ると、時間がかかるのも仕方がないなという面もあるんですよね。

で、なぜいきなり日本の国際協力の話をしているかというと、この日本の国際協力の特色も、自分たちの価値観を絶対のものとしない、どこか別のところにヴィジョンがあって他所様のヴィジョンに照らして自分のアイデンティティを確認する、という日本人の特色が非常によく反映されているシステムに見えるからなんですよ。途上国とはいえ、相手国の考えには耳を傾け、一緒に考えてみる。既成の「正解」を安易に持ち込むようなことはとりあえずしない。

欧米諸国による国際協力事業は、パッケージを持ち込むようなものが多いんです。エイズ対策はこう、水・衛生問題対策はこう、食料支援はこう、という、すでにデザインされて出来上がった事業計画を持ち込むことが多いように見えます。これが定石、正しい対応というもの用意してきて現地で指導し適用する形態です。さらにキリスト教系の援助団体ともなると、自分たちの価値観まで一緒に広めようとしたりして。自分たちの範に従えばよろし、という中華な空気が感じられることも少なくない。

そういう欧米式の援助も効果は高いです。特に即効性が高いことが多い。日本の支援がいつまでも始まらずだらだらしている間にバンッと資金と人とを投入して成果を上げる局面も何度も見ました。

それもよい。否定はしないし、ひとつのやり方だと思う。でも、相手国側の文化的文脈に合致していなくて、一時の成果だけで長続きしなかったり、時に傲慢に感じられたり、あるいはたとえば「民主化の支援」のような政治的に敏感な分野では原理的主義的な危うさも感じたりする。

世界の先進国、援助国による援助事業は、みんなそれぞれに個別の事情、特色を持っていますけど、日本のODAも例に違わず「要請主義」「ownership」で代表されるような独自色があります。上記で引用した識者の方々の日本、日本人の特徴についての評を、人の顔色ばっかりうかがって情けない、という風に見ることもできるでしょうが、好意的に解釈すれば、相手のことをよく考えている、ということです。日本の国際協力にも、その特徴がよく反映されているように思うのです。

まあ、実際の現場には、さらにさまざま事情があって、ここで書いたようにすっきり「日本はこう、欧米はこう」と割り切れないことも多いですけどね、実は。

November 15, 2010

「頭がいい」と「物知り」

「ソーシャル」なサービスが興隆したこともあって、従来型のマスコミに頼らずに現場の情報が入手できるようになりました。当事者の弁が聞けるようになったし、マスコミの舞台裏も見えるようになりました。

twitterだのなんだのっていうツールを活用していると、アフリカの当地のようなネット接続環境が悪くて動画なんかのリッチコンテンツの閲覧が難しい場所にいても、世間で、社会で、世界で起きていることについての最新のニュースやその当事者の弁、さらにそれについての専門家の分析から識者の評価、一般の人々の反応まで見ることが出来る。

一時情報に近いところに誰もが立てて、興味のあることについては深入りして調べることもできる。機械が手足の能力を拡大し、自動車の普及によって人の移動能力が拡大したのと同じように、ネットによって人の目や耳といった感覚器の能力が拡大されたような感覚です。

ただね、毎日、たくさんの情報に接して、そのそれぞれの事象にすでに多くの人が多くの意見を述べ、分析し、評価をしているのを見続けると、それじゃあ果たして自分はどう考えるのか、ということに結論を出すのが随分難しくなったように思うんです。

「それもそうだ。」「そっちの言うことも一理ある。」「でも現実はそうだよね。」「やっぱりおかしいんじゃない?」

みんなもっともらしくて、「私」の意見はどうなのか決めかねる状況が増えているような。

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なにかの計画を立てたり、なにかについて論説したりするときに、手元に資料を集めて机上で検討しているときには、思い切った結論を述べたり、立派な理論を主張したりできるのに、その現場に行って生の声を聞いて現実を深く知ってしまうと、途端に歯切れが悪くなるというのは何度も経験したことがあります。「そうは言っても、これが現実だからねぇ。」「お言葉ごもっともだけど、でもさぁ。」そんな感じです。

現場にいる人々に対する情に流される、というのも多分にありますけど、机上で考えていたときには見えなかったことが見えてきて、考慮に入れるパラメーターが増えて判断が難しくなる、という感覚ですね。

ネットが社会のプラットフォームとしてこなれたものになってきて、これと同じ感覚を覚えます。机上、というか端末の前に座ってしまうと、現場に行っていなくても現場に近いところからの声が聞こえる。さらにそれに対する多くの意見も聞くことが出来る。

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ネットの普及によって、だれでも擬似的に現場を見ることができる。少なくとも現場に近いところの人の声が聞ける。これは素晴らしいことだと思うよ。でも、他方では今まで以上に「私」の判断力が試されているように思います。

「じゃあ、あなたはどう考えるのか。」

たくさんの情報が入手可能になった分だけ、パラメーターが増えた分だけ、考える力がシビアに試されるようになったよね。

「考える力」「賢さ」、さらに言い換えれば「教養』「英知」っていうのは情報や知識を溜め込んでいるのとは違う。情報や知識を持っていることは前提条件で「考える力」っていうのは次元の違うことだっていう、当たり前のことを改めて認識しています。


と、ごにょごにょ御託を並べてますが、要は「頭がいい」と「物知り」がイコールではないってことは、ネット社会になって一層痛感させられるよね、って話です。

November 12, 2010

18世紀以来の外交の変革期、かも?

もう議論も出尽くした感がありますね、尖閣諸島沖の海上保安庁巡視艇と中国漁船の衝突の様子を収めた動画がYouTubeで流出した件。

で、それに関して、なんら目新しい答えや意見を出せるわけではないんですけど、ただ、今回の海上保安庁の動画流出の騒ぎを見ていて、政治や外交の世界も、ネットの世紀になって新しい時代に入りつつあるのだなぁと感じたりなんかしてるので、ちょっとだけその感想を書き残しておこうかと。

外交ってさ、古くは国王とか皇帝とかの専権事項で、要は王様が使節を送って外国と物事の調整をする作業だったわけでしょう。成功も失敗も最終的には王様自身の威信の問題で、王様の責任だったんですよね。そこで民が意識されることは少なくて、国家を体現する王様とその取り巻きや貴族達だけが情報を独占してた。民は戦に駆り出されるばかり、って時代だったはず。

ところが、18世紀頃から今風の議会政治が成立する国が出て来て、民主制、議会制民主主義の国が出て来た。外交は政治を通じて間接的に民の信託を受けた外交の専門家が行うようになった。で、この時代から新聞というメディアも発達してきて、主権者たる国民も、曲がりなりにも情報に接することができるようになってきて、「情報を持った民がいて、少なくとも建前上は最終的には彼らが決める」という新しい環境を前提とした、現代にまで続く外交の手法が構築されていったんですよね。もちろん紆余曲折があり、様々な問題や失敗も経験してるんですけど、外交の秘密保持と情報公開のバランスとか、政府と外交官と新聞の関係のあり方とか、民主外交に必要なノウハウや経験が積み上げられていったわけです。

そしてラジオ・テレビの時代がきた。新聞より速報性があり、民に対する訴求性も高いメディアなので、またそこでも外交の新しい方法論が積み上げられていったんでしょう。が、しかし、それは新聞というメディアとの付き合い方の延長線上にあったように思います。新聞より速い、新聞より情報量が多い、という違いはあれど、情報の流れ方には基本的に違いはない。そう、「マスメディア」であることには変わりない。

ところが、ネットの時代は本質的に新しい。政府と外交官とマスメディアの3者の間で培われた枠組みの外側に、まったく新しい情報のルートができつつあるんだと思うんです。だれしもが新聞やテレビの力を借りずに情報を拡散する力を得て、この3者のコントロールの及ばないところで情報が大々的に流れるようになってますよね。Wikileaksも、公安情報の流出も、海上保安庁の動画流出も、今までとは全く違う情報の流れを作っている。従来型のマスメディアの枠外の話になってる。

確かにすごいことになってきたんじゃないですかね? 封建時代の外交から近代外交に移り変わった18世紀以来の大きな地殻変動のような気がしているんです。「外交と情報」という視点から見ると、18世紀初頭以来の、2、300年ぶりの新局面じゃないかと。国民主権と言いながら、選挙の時以外は観客に過ぎなかった市民が、ネットというプラットフォームの上にソーシャルメディアという情報空間を得て、政治と外交とマスメディアという既存3者が300年安住してきた心地良い空間を激しく揺さぶっている。そんな感じがするんですよね。

だったら、この新しいセットアップのもとでの外交はどうあるべきなのか。情報のコントロールはどうあるべきで、どういう風な政治が求められて、市民にはどんな教養が必要とされるのか。私には今のところはなんの回答もないんですが、ただとにかく、私たちは新しい地平に立っているんじゃないかなー、すごいことになってきたなー、というのは実感するんですよね。